広報委員会

志邏伽之

「志邏伽之」は、東高PTAの広報誌です。
東高創立直後に早くも発刊され、その歴史は東高の歴史そのものと言えます。

「志邏伽之」誕生はいつ?

「志邏伽之」誕生はいつ?

「志邏伽之」誕生は、八王子東高校の誕生と同じ、1976(昭和51)年その時のことを初代広報委員長 日々佑子さんはこう語っています。

部数は何部刷ったらよいか石坂校長先生にお聞きしましたら、「部長と先生で決めてください。学校をPRするのは「志邏伽之」しかありませんから。」とのお返事。部員にその旨を伝えたら、「え~っ、そんなことあるの?」と感嘆の声。学校の寛大さにふれ、かえって責任の重大さを感じました。

創刊号のうぶ声は700部

「志邏伽之」名前の由来は?

「志邏伽之」名前の由来は?

もちろん校樹「しらかし」にちなんだもの。なぜ「しらかし」を校樹としたのかについては、 「志邏伽之」創刊号表紙に一文があります。

校樹讃歌
樫の木は 雄々しく立てり
真夏日の 火照るときにも
野を埋み 雪降るときも
幹勁く 大地に立てり
みどり葉を 天にひろげて
樫の木は 雄々しく立てり

校樹「しらかし」について

冬の武蔵野を見渡すと、所々に濃い緑葉の日にきらめく大きな木が目につきます。 それはたいていカシノキの類です。ことにシラカシが多いようです。 人間が大地を切り開くということがもし無かったら、この辺はカシ類で覆われていたはずだということです。 日本文化のカシとの関係をたずねると、上代の昔までさかのぼることができます。

日本書紀に 「命の全けむ人は畳蘭平群の山の白かしが枝を?華に挿せ此の子」(巻7 景行天皇) とあり、志邏伽之の字を当てています。上代人はたくましく大木に育つカシに生命力の神秘を感じ、 形の美しい常緑の葉に邪気をはらう霊力を認めていたのです。 シラカシはまた防風防火・生垣用として人家に植えられ、 その固く弾力に富む材質から農具・工具などのあらゆる器具に用いられて、 日本人の生活に大きな貢献をしてきました。

本校の教育目標は「健康」「勉学」「良識」ですが、シラカシの持つこの強さたくましさは「健康」を、 堅実な有用性は「勉学」を、日本の大地に根ざした豊かな伝統性は「良識」をそれぞれ象徴しているのです。(創刊号)

題字「しらかし」から「志邏伽之」 へ

「志邏伽之」は創刊号から1992年の61号まで「しらかし」とひらがな表記で縦書きでした。 しかし、そのレイアウトだと、表紙枠が縦長の特殊な形になるため、 当時よく表紙を飾ってくれた美術部生徒の作品をそのまま使うことができませんでした。 やむをえずトリミングして表紙にしていましたが、無理なトリミングで作品の良さを半減させてしまうのは惜しいと、 使い勝手のよいレイアウトができる題字に一新することになりました。

1992年6月26日発行の「しらかし」61号で公募し、選考委員会で決定。 日本書紀が白樫に「志邏伽之」の字を当てていることから、それを横書きで採用し、62号から現在の形になりました。 なお創刊号から61号までを飾った縦書きの題字は、書家三橋陽子氏(初代PTA会長三橋敏夫氏夫人)が筆を取られたものです。 「流麗で品格がある」(61号の評)という題字から、先輩諸氏の思いが伝わってきます。

「志邏伽之」に見る東高はじまり物語

美しい校歌 作ったのは誰?

美しい校歌 作ったのは誰?

新設の学校にふさわしい校歌をとその理想を高く掲げて作詞されたのは初代校長の石坂富司氏、そして、作曲は当時の音楽教諭の杉嵜昭夫氏です。

作詞された石坂初代校長の思いの一端を2年目のあいさつ(4号)から読み取ることができます。

「充実の年 第二年目を迎えて」 学校長 石坂富司

…しかし、学校の真の充実というのはそこに学ぶ生徒達一人ひとりが心身ともに健康で勉学にはげみ、調和のとれた豊かな良識を持つ人間への成長をめざして努力している、ということを措いて外にはないと思います。

私どもの毎日の仕事も亦、どうしたら生徒一人ひとりに、八王子東で学ぶ喜び、張り合いを発見してもらうことができるか、ということで苦辛しているわけであります。

…何かひとつこれだけは全力を尽くしてやったという自信の持てるものをつかんでもらいたいと希っています。

教えるということはともに希望を語ること。
学ぶということは誠実を胸に刻むこと。(4号)

校章の由来は?

校章の由来は?

創立時、校章デザインの考案は授業の中に組み込まれ、生徒から校章デザインを募りました。当時の美術科の平野武司教諭がデザインをまとめ、創立1年を前にした1977(昭和52)年3月15日発行の3号で、校章が発表されました。

「校章について」  美術科 平野武司

応募作品は約400点。堅実でまじめな感じのものが多く、感激させられました。校章委員会としては、モダンで気品があり全ての役にかなうもの、との観点で選考を進めました。その結果、数名のアイデアを基に私のほうでデザインをまとめました。

デザインは八王子の由来、須佐之男命(スサノオノミコト)の8人の王子が住んだという八王の王の字を環状に並べ光を表し、中央に東の字を入れて、太陽を象徴化したもの。

校旗はえんじをベースに金糸で縫い、3月中旬に完成、バッジは燻し銀で仕上げ、4月の新学期には間に合う予定です。(3号)

制服の色はなぜ茶色なの?

制服の色はなぜ茶色なの?

焦げ茶色は武蔵野の大地、ネクタイのえんじ色は若者の情熱。
「茶羽」とも、かつては「京王線の制服の色と同じ」とも、称された東高の制服ですが、意味があっての<茶色>なのです。
「草創期の思い 若い世代に託す夢」(72号)で、石坂初代校長がインタビューに答えてその意味を語っています。

(石坂)
きちんとした服装をということで制服を決めましたが、生徒達にも好評でした。
ちなみに制服の焦げ茶色は武蔵野の大地、ネクタイのえんじ色は若者の情熱を表しています。(72号)

幻の第3校歌? 「八王子東豪気節」

幻の第3校歌? 「八王子東豪気節」

幻の第3校歌 「八王子東豪気節」が掲載される。(63号)
作詞は、校歌を作詞した初代校長の石坂富司氏です。

「八王子東豪気節」  作詞 石坂富司

一つとせ  人に知られた八王子 東高校の豪気節
二つとせ  富士の高嶺はすぐ近く 窓から手をだしゃ届きます
三つとせ  見れば見るほど品がよい 東高校の女学生
四つとせ  よしておくれよ身が持たぬ 徹夜の勉強一週間
五つとせ  いかす校服こげ茶色 胸のネクタイえんじ色
六つとせ  向こう三軒両隣 大学 公園 機動隊
七つとせ  泣いちゃいけない気が弱い 胸のバッチが光っている
八つとせ  やればなんとかなるものさ 東高校の猛勉強
九つとせ  こんな良いとこあるもんか 殿様トイレに冷暖房
十とせ   とうとう三年卒業か も一度やりたい東校

志邏伽之のあゆみ

1970年代

1970年代

1976年(S.51年)「しらかし」創刊号

八王子東高校PTA創立とともに「しらかし」創刊。B5版白黒印刷、全頁8ページ。700部発行。表紙を飾ったのは校樹「志邏伽之(しらかし)」校歌校章決定する。(3号)
表紙はしらかしの樹

1978年(S.53年)

完成したばかりの体育館で、第3回入学式(8号)開校記念式典(9号)
昭和53年10月14日さわやかな秋晴れの日、教職員、生徒、PTAが一丸となって開校記念式典を行った。巣立ちゆく一期生(10号)
開校記念式典号に、石坂校長は「わが生涯最良の日」と寄稿(9号)

1979年(S.54年)

5月発行が加わって年4回発行に(11号)~平成2年ごろまで
表紙イラストに生徒作品登場(13号)以後表紙に生徒作品大活躍。
学校のさまざまなニュースを集めた「しらかし広場」登場(18号)
表紙に生徒イラストが初めて登場した13号

1980年代

1980年代

1981年(S.56年)

頁数が12ページになる(19号より)文化祭報告は14ページなるときも 特集自転車通学(20号)
養護教諭が東高生の自転車事故について事例をあげつつ、注意を促す。(20号)

1984年(S.59年)

八王子東養護学校との交流はじまる(30号)既卒者から初めて東大と国公立大学医学部合格者が出る(31号)
←生徒座談会「高校生活と国際化」留学を経験した生徒たちと(34号)

1985年(S.60年)

創立10周年記念式典(37号)

1989年(H.1年)

本校保護者として、東海林さだお氏が「セピア色の思い出」を寄稿(53号)

1990年代

1990年代

1992年(H.4年)

しらかし祭の特集号に待望のカラーページ登場(59号)縦型の「しらかし」の題字を横型の「志邏伽之」に一新(62号)連続企画「八王子東高校の明日を考える」
大幅な高校入試制度の改革を前に、さまざまな角度から学校を検証し未来を試行する企画、「その2」、「その3」と三年間にわたって受け継がれる。(1)62号 (2)65号 (3)68号 幻の第3校歌「八王子東豪気節」(作詞 石坂富司)が掲載される(63号)
「志邏伽之」62号がPTA広報紙・広報誌コンクールで佳作入選

1995年(H.7年)
八王子東高20歳PART1 草創期の思い 若い世代に託す夢(72号)
初代校長 石坂富司氏にインタビュー
八王子東高20歳PART2 東校生の座談会(73号)シリーズ タイムトラベル
  • 草創期を振り返って(73号)
  • 東高先輩達の今(77号)
1998年(H.10年)

「志邏伽之」82号が都立高等学校PTA広報紙・広報誌コンクールで佳作入選全生徒と保護者を対象にしたアンケート調査「親のおもい・子のおもい」が評価される。

1999年(H.11年)

発行回数が年3回に

「志邏伽之」85号が都立高等学校PTA広報紙・広報誌コンクールで最優秀賞を受賞
「東高生の今 生活実感と社会への関心度」をテーマにしたアンケート調査が評価される。(エントリー校は107校。)
「志邏伽之」87号が都立高等学校PTA広報紙・ 広報誌コンクールで広報委員長賞を受賞
都立高等学校PTA広報紙・広報誌コンクールで 最優秀賞を受賞した85号(1999年3月10日発行)
2000年代

2000年代

2000年(H.12年)
「祝創立25周年企画――記念式典、祝賀会より」(89号)
「 6月17日、八王子市民会館において創立25周年記念式典が多くの来賓・教職員・生徒列席のもと開催されました。」
「志邏伽之」のサイズがB5版からA4版に(90号より)
 以後文化祭特集号は半分がカラーページとなり、迫力魅力共にアップ。
「志邏伽之」90号が都立高等学校PTA広報紙・広報誌コンクールで最優秀賞を受賞特集の「17歳にエールを送ろう」(90号)が評価される。
2001年(H.13年)
「特集東校生のケータイ事情」(93号)
「進学指導重点校に指定される」(93号)
「25期生修学旅行「広島関西方面」(沖縄には行けなかったけれど)」(94号)
☆「志邏伽之」93号が都立高等学校PTA広報紙・広報誌コンクールで東京都公立高等学校PTA連合会長賞を受賞
PTA連合会長賞を受賞した85号
2002年(H.14年)
座談会「東高の過去・現在・未来」(96号)
「The 生徒会 おしかけインタビュー」(96号)
☆「志邏伽之」96号が都立高等学校PTA広報紙・広報誌コンクールで教育委員会賞を受賞
教育委員会賞を受賞した96号
2003年(H.15年)
98号以降、年間を通して全頁カラーに
「充実してますか東高生の今」(99号)
「応援ありがとう」 八王子東養護学校生の東高体育祭観戦記(99号)
☆「志邏伽之」99号が都立高等学校PTA広報紙・広報誌コンクールで東京都教育委員会賞を受賞
(画像)都立高等学校PTA広報紙・広報誌コンクールで、東京都教育委員会賞を受賞した99号

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